山本りゅう公式サイト

RYU YAMAMOTO official

山本龍公式サイト

山本龍山本龍の誕生とおいたち 昭和34年(1959年)7月4日 群馬県吾妻郡草津町の鮮魚店の次男として生まれ、光泉寺幼稚園~草津小学校~前橋市立第三中学校~前橋高校~早稲田大学商学部を卒業。 山本龍の趣味・嗜好など 好きなスポーツは自転車とテニス。愛読書は、P.ドラッガーの「断絶の時代」。映画鑑賞が趣味で「砂の器」「惑星ソラリス」「道」「山の郵便配達」はベスト4。かき氷が好物。 山本龍の政治家としてのあゆみ 小渕恵三代議士秘書を経て、平成7年に群馬県議会議員に初当選。 【県議会】農林、総務企画各常任委員会委員長、高齢くらし、人づくり特別委員会副委員長 【自民党群馬県連】広報委員長、総務会長など。 平成18年(2006年)7月1日館林市において、平成19年(2007年)7月に行われる群馬県知事選挙への立候補を表明。平成18年7月4日県議会議員を辞職し、県内遊説キャラバンを開始。 平成19年(2007年)7月22日に行われた群馬県知事選挙において19万票3位で落選。なお、自民党公認前県議会議長大沢正明氏が約30万票で当選、現職知事小寺弘之氏は約29万票。おかげさまでたくさんの友人、同志に出会えました。 平成21年(2009年)1月、群馬県議会前橋選挙区補欠選挙で当選、群馬県議会議員通算4期目となる。 平成24年(2012年)2月、前橋市長選挙で当選。 平成28年(2016年)2月、前橋市長選挙にて再選。 令和2年(2020年)2月、前橋市長選挙にて3選。現在に至る。 山本龍のフォトグラフィ

山本龍の資料室

※このページは「書き掛け」のページであり、随時更新されます。 2016年(平成28年) 前橋市長選挙に再選、現在に至る 2012(平成24年) 前橋市長選挙に当選し、前橋市長へ 2011(平成23年) 次のステップへ向けて「政治家・山本龍」は常に現在進行中です。 2010(平成22年) 鋭意制作中 2009(平成21年) 2009(平成20年)群馬県議会議員補選へ出馬、前橋市選挙区から再度県議会へ 2008(平成20年) この年、山本龍は「政治浪人中」でしたが、「政治家・山本龍」はどこにも束縛されず、自由な立場と見地から社会を見つめ直し、日々探求、活動を続ける「充電期間」でもありました。 2006(平成18年)-2007(平成19年) 2006(平成18年)群馬県議会議員を辞し、新たなる挑戦「群馬県知事選」へ挑むべく県内キャラバンへと旅立ちました。 2004(平成16年)- 2005(平成17年) ザスパ草津JFLのシーズン前の激励会・倉田(左)龍(中)小島(右)?拉致被害者救済のために前橋、高崎、吾妻、利根沼田などで街頭活動を行いました。 1994(平成6年) 初めての選挙戦へ?吾妻郡の田んぼの中、全てはここから始まった。 1994年(平成6年)吾妻郡の田んぼの中のガランとした土地、山本龍の政治家人生のすべてはここから始まった。 1989(昭和64年/平成1年) 昭和天皇崩御のニュース故・小渕恵三官房長官が新元号「平成」を発表する。
昭和64年1月7日天皇陛下(昭和天皇)崩御。山本龍の師である小渕恵三(当時官房長官)が1月7日に新元号「平成」を発表、翌1月8日から新元号「平成」の時代となった。
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